eggo0084 赤松晃年 展 Good morning.I'll do my best as well.

■作品紹介

「ムーンライト-感謝、願いを君に-」 100号F

「5月の空」 727×910mm


■会期

2022年8月25日(木)~9月3日(土) 10:00~18:00(会期中無休)

大雅堂1F展示室

 

作家在廊予定:全日

■展覧会に向けたコメント

僕は、YouTubeの格闘系の人々の番組で、中学・高校の頃にめちゃくちゃ悪いことをしていて、少年院に入ったり、色々と大変な思いをして来た人の物語を聞いて、とても共感する所があります。

彼らは、社会からスピンOUTして反社会的勢力に入るか、もしくは、格闘技系の世界で、自分が整理出来ない脳の中の情報を何とか整理して、社会とコミットしようと、もがいており、僕ら芸術家達の置かれている立場と似ています。

我々は「芸術家」…とか言っていますけれども、頭がクルクルパーの集団で、最近では発達障害というジャンルに属されていると思います。

僕自身そういったジャンルの人間です。

芸術の世界を見れば、社会と馴染めぬ人格は、枚挙にいとまがありません。

 

僕が運営している、カイカイキキというアーティストのマネジメント会社に所属するアーティストの全員が、常識外れな思考を持って、絵や彫刻作品や表現以外では、頭のネジがぶっ飛んでいて、話しが通じなかったり、不義理をされたり、長い間、関係を続けていても、うまくいかない人達がゴロゴロいます。

でも、そういった人達の問題を、飲み込んであげて、アウトプットする表現に特化させられた時、表現された作品そのものは、社会にとって、感動であるとか、共感であるとか、そういう人の心の奥底に繋がっていくものだと思って、僕自身の経験から、未整理な若者で、アーティストの志望者達を、応援、サポートして来ました。

 

Mr.というアーティストは、もう30年間面倒を見て来たアーティストですが、今や彼も50歳を超えて随分とキャリアを積んだアーティストとして、パリのペロタンギャラリーや、NYのリーマンモーピンギャラリーというメガギャラリーに所属して、売れっ子作家になっています。30年前、給料も払えない僕のスタジオで、たまに食事を僕のために運んでくれたりするような境遇で、結局、10年間ちょっと、僕を手伝ってくれていました。

その彼が、独立してスタジオを持った時に雇った作家の一人が、今回の主人公、赤松晃年さんです。

 

何でこんな長い前振りをしたかというと、この赤松さんが人格的には酷い人間で、Mr.を裏切るような形で、スタジオを辞めてしまい、その話が余りにもメチャクチャだったので、その人間のつくった作品であるという前提で作品を鑑賞してもらって、芸術精成の不思議を考えていただきたいと思ったからです。

 

赤松さんは、北海道札幌市生まれ。小・中・高の間中、勉強も出来ず、多分、みんなに馬鹿にされて生きて来たのだと思います。そういった周りからの白い目で見られるルサンチマンが蓄積して、定期的に暴れて来たようです。

 

そんな赤松君ですが、Mr.スタジオの門下生なので放っておくことも出来ず、僕から赤松君に何度かチャンスをあげて来ました。僕が運営しているHidariZingaroという小さなギャラリーと、僕がデビューした大阪の青井ギャラリーというところで、個展を2度ほどオーガナイズしてあげました。2回とも作品は完売したのですが、その後が続きませんでした。

作品を売った額面だと食って行けずに、展覧会の後はMr.のスタジオに戻って稼いでいましたが、ある日Mr.から、もう赤松が手に負えないので辞めてもらう、今まで村上さんにも世話になって申し訳なかった、という連絡をもらって、そうなんだぁ…と思ってたら、程なく赤松くんから電話があって、話を聞いてあげました。

理由は、自分の作業方法が正しい、もしくは現場にとってBetterなのに、Mr.がわかってくれない…みたいな。

どの目線で話してるんだよ的なトンチンカンな憤りを、彼は持っていました。まぁ、どっちにしても無職になったので、金をどこかで得ること、本当に絵を続けたいならどうすればいいのかの心得を伝えました。

一定期間働いて金を得て、その金で数ヶ月絵を描くことに専念するという生き方をしていた、田中一村を紹介しました。

 

田中一村は、1908〜1977年没の不遇の日本画家。東山魁夷など昭和の日本画大ブームの裏で散り、尖り過ぎた人格が禍いして当時の日本画壇に馴染めず、最終的には奄美大島に移住して、大島紬を一定期間織り続け、稼いだ金で絵具を買って、約半年間、絵を描くという生活を十数年間ぐらい繰り返し、最後は制作小屋で死んでしまったという作家さんと同じように、とにかく働いて金を作ってみろ、と伝えました。

まず300万円程貯めて、その稼いだ金で、食い続けられるだけ絵を描いたらどうか?という事を言ったところ、なんと3年間程印刷工場で働いてました。

ですが、その印刷工場でも最後は大暴れして、辞めさせられたという話。もうこいつは駄目だな、何を言ってもしょうがねぇなぁと思って、風の噂でそういう話を聞き流していたところ、本人からも「印刷所で不義をしてしまって辞めたんで、僕はどうしましょう?」って言うんで、「それは、自分で責任を取るしか無いし、そもそもお金を貯めて、そのお金で絵を描いたらどうかって言う事だったんで、お金溜まったのか?」って言ったら、「400万程貯まりました。」って言う事だったんで、オッ!その部分は頑張ったんだなと。「いいじゃない、それを食い詰めるまで絵を描いたらどうか?」って言ったら、「はい」と言う事で、制作三昧生活に突入したんです。

Instagramも始めたけれど、フォロワーも数十人しかおらず、作品を描き続けるも腐っていたようです。

そうしてたところ、僕の知人のコレクター Kさんから連絡があって、「今、大雅堂の庄司さんが私の家に遊びに来ているんだけど、昔買った赤松君の絵がとても気に入っている。買いたいというんだけど、どうしましょう?」と言うので、「気に入っているなら、買い上げてもらったら?大雅堂さんが赤松君の作品を購入して、作品に対しての価値観があると言う様な気持ちがあるなら、展覧会でもやってもらえたら赤松君にとってもいいんじゃないの?」と言ったら「じゃあわかりました。」って言うんで、大雅堂の庄司さんに買って貰って、展覧会をやってみたいという話まで、トントン拍子に決まったのです。

 

でも赤松さんの問題は、本人も処理できない発達障害的な突然起こる発狂状態なので、人格的な障害も含めて、一回庄司さんに赤松さん会って貰った方が良いんじゃないかって言う事で、Kさん引率の下、庄司さんは赤松さんのお家に行って話をしたそうです。

赤松さんのお家、スタジオみたいな所に庄司さんが行きました。そこは、驚くべきゴミ屋敷で、寝る場所もなく描いていて、ショックを受けたと。衝撃を受けすぎて、「どこで寝ているんですか?」という言葉くらいしか出なかったと。

今まで庄司さんが取り扱ってきた作家さん達、特に日本画を専門にされている画廊さんなので、とても作家然とした整頓された空間を持っていて、そのイメージとのギャップが埋められなかったようでした。

しかし不思議なもので、その衝撃がポジティヴに考えてもらえて、展覧会開催の決断となったようです。

 

このエッセイの冒頭は、格闘系YouTube番組の話でした。

世の中の賢いと呼ばれている人は、比率的に2割もいないんじゃないかと思います。そしてアーティストの、殆どが人生落伍者です。

僕自身も、振り返れば中学高校で落ち溢れて、たまたま絵を頑張ろうと思って、2浪して、上手くはまって東京藝術大学日本画科という芸大の中では最低ランクの科に入りましたけど、大学に入ってからも別に飛び抜けて素晴らしいこともなく、アニメオタクであったので、エヴァンゲリオン監督で同世代の庵野秀明さんの素人時代の8ミリフィルム、アニメーションとかを見て、悔しいを想いをしながら、自分には才能がないなと思って、流離ってアメリカに逃げたようなろくでなしです。そして、アメリカで現代美術家としてのチャンスを掴んでそういった一縷の希望でも生きていくことができるんだっていうことを、僕と同じような境遇の、才能もなく落ち溢れた人たちにチャンスを与えたいと思って、GEISAIというものをやったりしてたという流れながれての人生でした。

 

人格が破状しているけれども、格闘家と同じように、一回リングに上がったら普通の人ではできないような集中力、そのリングに上がるためのトレーニングも含めて、一般人が仕事・生活をしている限り到達できないような、とんでもないレベルの人体と脳みその改造を行うことができる異能人の生きる世界が、我々落伍組の活動域なのです。

その意味で、赤松さんは時々のチャンスで、僕もプッシュしましたし、今回の場合は大雅堂の庄司さんがプッシュしてくれるということで、こういった展覧会を開催する経緯になりました。

 

そんな最低な人間の描き出す、可愛い女の子を描く赤松さんの作品の展覧会を日本画の老舗画廊がやるってことは、本当に良いのかなぁ?と思ったりして。

しかし乗りかかった船なんで、できれば成功してほしいなって思います。

 

作品の良さがあーだこーだっていうのはここまで一言も書いていませんし、別に語ることもないと思いますが、僕が彼のために2回も動いたこと、今回3回目ですけど、そのあとKさんという方や、2回の展覧会ではよく売れてたんで、世界のどこかに彼の作品を好きだと思ってくれている人が100人ほどいるということ。

で、大雅堂の庄司さんも前触れもなく、Kさんの事務所で作品を見かけて、この作家の作品が欲しいと言ったことを含めると、何とも言えぬ魅力があるんじゃないかと思います。

芸術というものは、人格ともリンクしないし、偶然が8割だったりもします。作家が上手にプレゼンをしたり、耳障りの良いことを言ったりするんじゃなくて、その作品が一人歩きし始めるという意味においては、本質的な魅力が彼の作品にはあるんじゃないかな?とも思いますが、だからと言ってこの作品を買えという気持ちでもありません。ちなみに、カイカイキキでマネジメントもしていません。Mr.の元アシスタントというよしみのみでのお世話焼きです。

 

ですが、最低の人格者なのにも関わらず、こうやって誰かの助けを借りるような形で作品を発表できる赤松君の強運を、皆さんに観に来ていただけるといいんじゃないかなと思います。

 

中学生や高校生の絵を描こうと思っている人たちは、彼が会場に居たならば、話しかけてみてください。

あまりにも頭が弱くて、何を話しているのかわからないような彼をみて、自分ももしかしたら酷い人生だとしても、少し考え方を変えて努力をすれば、誰かがサポートしてくれて、絵描きのような仕事につけるかもしれないという希望が持てるかもしれません。

人生を考える意味においても、今回の展覧会を鑑賞してみては如何でしょうか?

以上です。

 

村上隆

カイカイキキ代表

■プロフィール

1977年 北海道札幌市生まれ

2004年 創形美術学校研究科卒業

    「そこは小さな夢の国」(ギャラリーeシエスタ/東京)

    グループ展「GEISAI#10」(東京ビックサイト/東京)

2005年 「赤松晃年展」(ギャラリー銀座芸術研究科/東京)

2007年 Mr.アトリエに勤務

2010年 グループ展「Mr.のChildren」(青井画廊/大阪)

    グループ展「Mr.のChildren」(Hidari Zingaro/東京)

    グループ展「GEISAI#14」(東京ビックサイト/東京)

2011年 「THE☆AKAMATSU」(Hidari Zingaro/東京)

2012年 グループ展「SCOPE BASEL 2012」(SCOPE BASEL Pavilion/バーゼル)

 



■展覧会風景